がんばろう日本フェア!2015「つなぐ」でのライブ映像です。
この作品は『星降る虹色の鉄道物語』です^_^
こちらの作詞に対する三つの想いを書かさせて頂きます!
この歌を作るにあたって、2011年3月の震災以降東北の曲を作る時に
まあしいは、自分で作詞をするのは恐れ多くて作る事はできませんでした。
『いつかの港町』や『気仙沼大島小学校の子ども達より応援歌』も、
友人の手紙や、子ども達からの手紙にメロディをつけさせて頂く事も慎重に慎重に。
そんな中で、『山口県下松市と岩手県釜石市を音楽で繋ぐ曲を作れたら』とは
思うものの、果たして自分が作詞をしていいんだろうか。
釜石市に二泊三日で行く1月に二回夢の中で様々な事を考えさせられました。
行く二日前には体調をくずしました。
そして、行く前に、『2007年NHKふるさと発スペシャル』の原ディレクターと
食事をする機会を頂き、改めて今回の釜石市の曲を作る事がどれだけ
今後の人生を大きく影響される日となるんだなぁと実感しました。
釜石市に着き、様々な温かい人の心を感じるとともに、観光ガイドさんに
現地を案内して頂き様々な出来事や想いを教わり、見て、感じて心に
伝わってきました。
『亡くなった人の数だけ悲しい物語が存在するのです。
それは四年たった今もなお続いています。』
その言葉は僕にとって衝撃でした。
釜石市のホテル二泊して、一人で寝れるだろうかと少し不安があったのですが、
これがまたびっくりするくらい優しい気持ちで寝つきもよく、
気持ちのいい朝を迎える事が出来ました。
そして、釜石市駅から電車に乗って帰る当日。
電車が出発する前に作詞ノートに筆文字で言葉が次々に書かれていきます。
『亡くなった人の数だけ悲しい物語が存在するって聞いたけど、亡くなった人の
数だけ見守ってくれてる存在の人達がいてくれるじゃないだろうか。』
そんな想いが胸によぎるようなホテルでのあの優しい夜の時間と寝やすさ。
釜石市のその土地の優しい雰囲気。
出発進行 虹色列車
と歌詞を書き終えた瞬間に本当に電車が走り始めました。
曲とメロディが同時に出来ました。
忘れない内に体に刻んでおかないと。
すぐにスマホの動画で釜石市の景色と一緒に録音。
鳴り響く電車の音。生きた歌。命が吹き込まれて行く。
そんな中で。
歌詞の一番の出だしは過去形。
歌詞の二番の出だしは現在形。
一番は亡くなった方々への敬意と感謝を込めて。
二番は今現在生きてるみんなへの感謝と尊敬を込めて。
そして、何も背景を知らずに聞くと『普通の詩で明るくてへいぼんだなぁ。
何で鉄道なん?』と疑問に思うような歌詞。
『あの時の一言が今は勇気となってあの時の行道が未来へと繋がって…今日もまた』
明るい歌詞だけど本当は。
『あの時の一言が無かったら…』
『あの時にああしてなかったら…』
そんな出来事があったからこそ、その経験がいつか誰かの未来の希望へと
かわりますようにと言う願いを込めて全て明るい詩で書かせて頂きました。
『岩手県の漢字の中にね、(山口)って入っているんだよー。縁があるよねぇ。』
いつも血も繋がっていない家族でもない僕たちマウンテンマウスを家族以上に
大切にし続けてくれていた東北の人達。
プリクラギターも岩手県盛岡商店街で2000年の8月にマウンテンマウスを
始める前に買いました。
マウンテンマウスと言う名前も岩手県で考えついたネーミングです。
その前の名前は、周防大島が金魚の形だから『ゴールドフィッシュ』でした。
いつも心の中に生きてる東北の人達とのご縁。
マウンテンマウスはこれからも瀬戸内海山口県周防大島から全力で東北の
人達の魅力を発信して応援しちょります。
長文を読んでくださりありがとうございました^_^