学校を卒業して、尼屋で半年働いていたら、徴用の紙が届き、
山口県下関市長府の神戸製鋼に行きました。
そこで33ヶ月間飛行機の板を作っていました。
続いて兵隊の訓練。
10kgの爆薬を箱に入れて、それを持ち運び、戦車の下に置く
訓練を島根県と高知県でしていました。
島根県三瓶では一ヶ月、そして、最後は高知県南国市御免町で終戦を迎えました。
昭和22年から漁師で、夏は練り網でヤハンドウ、冬は手繰りでコイカを取りました。
昭和28年お父さんが生まれた年、おじいちゃんが28歳の時に
鯛を取るゴチアミを始めました。
昭和32年のある日、スズメと安下崎の間500m沖でゴチアミをやっていたら、
網が底に引っかかってどうにもこうにもならなくなりました。
「こりゃあ魚雷がかかったんじゃ!慎重にせんにゃあ、わしらがあげたらいけん」
と、電話帳で調べて潜りの専門の方に頼みました。
最初1万円と言われていたのに、引き揚げ料5000円で良いと言わたそうです。
「あれは回天じゃったんだろう」とじいちゃんは思い、
いつか山口県周南市大津島にある回天記念館に行って、
回天がどんなのだったかこの目で確かめたいと思っていたのです。
でもおじいちゃんはとっても働き者で、海が大荒れの時化や
台風の日以外は漁師を休むという事がありませんでした。
年に数度の休みと言えば、宮島か、金比羅様か津和野へお参りに行くくらいです。
あれから56年たった2年前の2012年くらいからおじいちゃんは
しきりにまあしいまあちゃんに昭和32年当時の話を教えてくれて
「回天に連れて行ってくれ!」と言ってました。
でも連れて行くとなれば一日がかりで、漁師と音楽が必ず何処かの
時間に入ってました。
そして、遂に今日2014.9.8^_^
タコ漁も休みとなり、音楽のライブもなく、「今だ」とおじいちゃんに
「じいちゃん、大津島の回天記念館に行こう」と伝えると
喜んで正装して一緒に行きました^_^
片道車で二時間、船で約40分じいちゃんと様々な会話やじいちゃんの
武勇伝を聞きながらとっても楽しいワクワクな時間^_^
島にたどり着くと、乳母車を押しながら歩くじいちゃんの姿を見て、
島の人が「回天記念館に行くんね、車で乗していっちゃろうか?」
と、回天記念館まで連れて行ってくれました!
記念館に着くと、じいちゃんは感慨深そうに、思いを受付の人と、
記念館の方に伝えてました。
戦艦陸奥の部品を使って作ったとされる鐘もじいちゃんと一緒にならしました。
帰り道もわざわざ車で迎えに来てくれて、お茶まで出してくれました。
父思い 母思いて 猶更に 皇を思うは 日の本の道 黒木
このメッセージを書いてくれて船に見送ってくださりました。
おじいちゃんとの素敵な時間。
大切なこの時間をプレゼントしてくださり感謝します^_^