日本へ行く時にお父さんがなくなり、フィリピンには戻れない状況で父をなくした。
その子が一人で日本に行ってもあてがない状況だと結婚した僕のおじいちゃん。

1900年ハワイ移民の船に夫婦で三年間。
様々な条件をクリアしてハワイに渡り三年間。
その時に子どもが生まれて島に帰ってきて、ハワイで学んだ知識や経験で
子どもを育てながら全力で生きたひいひいじいちゃんとひいひいばあちゃん。
10人兄弟で親の為にと毎日寝る間を惜しんで漁師をして働き続けて家を
買って船を買ってお父さんにプレゼントした10人兄弟。
その次男がおじいちゃんで、体が弱く、若い頃に肺炎になり、死にかけた時に
必死に奥さんがお百度参りや、山に薬草を取りに行ったり、神社にお参りに行き。
その奥さんは27年前になくなり、しかしだんなさんのおじいちゃんはいまも
長生き87歳で奥さんの事を今も大切に毎日を家族のために生きてます。
脳梗塞になり、178cm100キロ近くあった体も30キロ痩せて握力ゼロ、
左半身が動かずロレツも回らない状況になり、第一声に
『ラッキーの散歩を頼む。わしが脳梗塞になって良かった』と、
そばで涙を拭いて笑顔で手を握る母。
周防大島から毎日西広島リハビリテーション病院に通い続けた母。
新聞紙もちぎれない、自分でトイレも出来ない状況から、その状況を震える手で
日記を書き続けて『自分の生き様からみんなに出来るようになるんだ』と
いつも希望を口にし続けた父。
『わしが大変な事は良いも悪いもなく全て受けてたっちゃる!』と
今では一人でも漁師に出れるようになった父。
お客様が家に来たときはその時にどんなに体調が悪くても漁師が不漁で
お金がない状況だったとしても、家族の事は関係なく、目の前のお客様の為に
今私に出来る事はなんだろうとアドーブやミックスジュース、オムライスに
ポップコーンを作って大盛りについで『何もなくてごめんなさい。
髪の毛入っててゴメンね^_^』とチャーミングなお母さん。
自分が超がつくほど人見知りでホームシックになりがちだから人のさみしいと
言う気持ちをいち早く察して、元気と笑顔を振りまいて笑いに変えまくって
毎日を過ごしていて、喜怒哀楽を全力で瞬発的に出してる妹まあちゃん。
子どもの事が可愛くて可愛くていつも庭で一緒に野菜を作ったり、差し入れを
してくれて両親でジョークをいって、話題が豊富な大好きなゆかりちゃんの両親^_^
自分で何か始めたら本当はものすごい潜在能力を持ってるだろうに決して
前に出ずいつも三歩も四歩も後ろで支えてくれて、みんなの良い所を
見つけるのがスペシャルに分かる大好きなゆかりちゃん。
この家族や親戚、先祖がいるから今日こうしてかみはなまつりに行く事が
出来ています。
今ある全ての出来事に感謝します。
全てはみんなのおかげさま人生に万歳です^_^