いつもは月始めの1日にお参りするのですが、今月は漁師や天気の関係で9月11日となりました!
いつもお墓参りする時は周防大島町安下庄会念寺にある親戚のお墓もぐるっと一周して、全部で11個させて頂いてました!
その中に中谷家のおばあちゃんやひいじいちゃんのお墓などがあり、『先月はこんな素晴らしい出来事がありました!見守って下さった先祖の方々のおかげです!今月も素晴らしい月になりそうな予感でワクワクなので見守ってて下さい(^O^)』と一つ一つお参りさせて貰います(^O^)
すると、ひょんな所で、『中谷金作、中谷トナ』と新しい木に文字が書かれたお墓が目につきました!

その木に名前が書かれてる時は、命日が近い時などにあるのですが、名前を見た事がありお墓を見てみると『中谷昭二建立』と書かれています!
ぶち気になりながら、お墓参りが終わり、ピューっと家に帰り、自分で作った白い本オリジナル家系図を見直してみました!
するとやっぱり名前が載っていて、ハワイで生まれた松太郎ひいじいちゃんの弟でした!
親は中谷得治郎さんで、僕のひいひいじいちゃんにあたります。
得治郎さんは明治24年5月29日第18回山城丸に乗って1488人の同志と一緒にハワイに移民してます。
その時期に3年間ハワイで奥さんナツさんと生活して明治27年に命を授かり生まれた人が中谷松太郎ひいじいちゃんです。
それから2年後の明治29年12月12日、得治郎さんとナツさんとの間に日本に帰って初めて生まれた子供が松太郎さんの弟金作さんです。
きっと金作さんも、子供の頃はたくさん得治郎さんからハワイでのお話を聞いて育ったのだと思います!
1913年9月11日金作さん19歳、得治郎さん53歳の会話。
『わしはのぅ、お前が生まれる前はハワイに行って三年間いろんな面白い事をしちょったんど!三年間の間に色んな友達が出来てのぅ、毎日仕事が終わったら仲良しの仲間やみんなで集まって宴会したりめしくって!今もわしの親友はハワイで頑張っちょるけーわしもまだまだ周防大島で頑張るんど!金作!お前もわしの血が流れちょるけー思うがままに人生生きるんど!』
こんな会話を聞きながらきっと100年前の今日この頃安下庄で生きていた金作さん!
このタイミングに素晴らしいご先祖との再会に万歳です!