ホオポノポノのお話は、島に残ってるおじいちゃんおばあちゃんの言い伝えにもとても良く似ていて、周防大島とハワイの密接な関係がよく分かります!
そんな山口県周防大島でフラダンスの先生をされている森元美八子先生に愛のスポットを当てて見ます!!

美八子先生の父松本豊さんは浮島で漁師をしていました!
人の二倍働き、人の痛みが分かる心優しい方でした!
男三人、女一人を育て上げる為に人の二倍働いて頑張り屋さんでした!
女の子の美八子さんの幼少期にはピアノやお茶、お琴などの習い事もさせて、短大まで行かせました!
愛情いっぱい注がれて育った美八子さんはお父さんが今でも大好きだそうです(^O^)
そんな豊さんの幼少期は戦争中と言う事もあり、13歳14歳の頃には学童動員での苦労体験もあったり、様々な大変な出来事があったけど決して愚痴も言わず、家族への愛情と優しさに変えて生きていました!
豊さんを支えていたタツヨさんは美八子先生にそっくりで人が大好き音楽大好き(^O^)
今も元気ニコニコ80歳でフラダンスをする姿を優しい眼差しで見守ります(^O^)
美八子先生は光雄(みつお)さんと結婚して松本から森元に姓が変わり、『松から森になった』と笑かします!
ミラクルなのが、美八子先生の兄弟の奥さんの名前にも『枝』が付き、大自然に守られる星の下に幸せいっぱい守られているなぁと思いました(^O^)
僕のお母さんも3つ名前があり、フィリピン幼少期『マッデリーナ』、日本に来て『静枝』、父と結婚して『良枝』、幸子ばあちゃんが亡くなり元に戻し現在の『静枝』となり、枝が付くなぁと思いました(^O^)
旦那さんの光雄さんとその弟の明雄(あきお)さんの名前の由来!
先祖や信仰を大切にしていた美八子先生の義理の母ツヤ子さんが中々子供が生まれず、お坊さんに名前をお願いして、元気な子供が育ちますようにと、『光明』と名前に入ってます!
光雄さんが40歳、明雄さんが44歳の時の子供で、親の願い通り今現在も光雄さんは元気いっぱい世界中を駆け巡ってる地球の船長さんです(^O^)
ツヤ子さんの信仰心はとても深く、お墓も神社も大切にして、四国やこの周防大島の88ヶ所をよくお参りしたり、朝と夜は必ず木魚をポクポク叩いて般若心経を唱えていたそうです!
ツヤ子さんの孫が子供の頃に、大変な出来事があった時にもう駄目だと言われた時もツヤ子さんは般若心経を上げて奇跡的に一命を取り留めて今現在もその子は元気いっぱい2011年にはめでたく結婚したのです(^O^)
美八子先生は浮島に生まれ、世界を巡る船乗りの船長と結婚して、屋代に住み、フラダンスの先生となり、今日も島の子供たちに愛をフラダンスを通じて教えています(^O^)
これからもその感性と魅力を存分にフラダンスで届けて下さい(^O^)