由宇町から玖珂に引っ越し、玖珂へ
石部百代さん(母)
玖珂町出身!で終戦後中国満州から線路を歩いて兄妹6人全員線路を歩いて日本まで命からがら帰ってきました。
戦前は石部幸夫じいちゃんが中国満州で事業を成功させていたのです(^O^)
家には中国人のお手伝いさんもいて、馬車に乗って百代さんは日本人学校に通っていたのです。
幸夫じいちゃんは手先が起用でした。
そして、さすが世良さんのおじいちゃんで人との繋がりや情報を大切にするお仕事に着眼点を置いてました(^O^)
その当時、テレビも携帯電話もなかったので日本軍や兵士が使うラジオを販売や修理する仕事をしていたのです(^O^)
そして、ラジオを聞いたり日本軍の方々と交流をしてそこで得た情報を店に訪れる人や満州で友達になった方々に伝えていたのでしょう(^O^)
『この人はこんな話が好きだろうな』
『この人はこの人と繋がると面白いだろうなぁ』
いろんなアイデアやお話をしていつも話題の中心にいる愛された社長さん(^O^)
そんな人だったんだろうなあと世良さんを見て思いを駆け巡らせました(^O^)
戦争が終わり、日本が負けて、満州から引き上げなければならないなぁと言う事もいち早く気づいていたのです(^O^)
とにかく目先の事だけでなく、『これから!未来はこうなるから子どもたちが大切だ』と教育を大切にしていたから日本人学校にも子どもたちを通わせていたんだと思います!
今世良さんの周りや繋がる方を見れば何故か教育に関わる方や子どもたちに囲まれています(^O^)
有馬さん親子
内田さん親子
山田秀子さん
斎藤照子さん
大浦祐介君父
マリールイズさん親子
全て先生や子どもに関わる事をやられています(^O^)
何故世良さんの先祖の話になったかと言うとマリールイズさんの『あの方は凄い星の下に生まれ、使命がある気がする』と川が流れる山々にを繋ぐ橋の手前で言われて『僕は世良さんがそんな何か人を繋ぐ使命がある気がします(^O^)』とおじいちゃんの話へと繋がりました(^O^)
今自分が何の為にこんな事をしているんだろうと知りたい時こそ先祖を振り返り、先祖にありがとうと感謝の気持ちを持つと『これから』の未来や子どもたちの大切さに改めて気づかされた世良さんとの車の中での会話でした(^O^)