新☆野球少年やまぐちフラワーランドの歌 はばたけ野球少年 おじいちゃんおばあちゃんの歌
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2011年03月16日

お願いがあります 次に送信するメールを、blogに載せてもらえますか! そのメールは、近所の望の幼なじみの子が、山田町に嫁ぎ、先日の地震・津波を経験し、盛岡の実家に戻って来て、今、思う日記です

私は今、息子と一緒に内陸盛岡の実家に避難しています。義父さん、義母さん、おばあちゃん、義理の妹、妹の彼氏はまだ被災地にいます。旦那も少ない食料や電池などの物資を積んで、今朝、まだ連絡のとれない被災地へと戻っていきました。
私はお腹の赤ちゃんと息子を守りながら、いつまでになるかわからない期間を実家で過ごすことになります。被災地では、山にある所以外、病院もお店も何もかも無くなり、赤ちゃんを無事に守れる環境とは言えないので、家族や避難所にいる人達を残してくる罪悪感にさいなまれながらも、私は避難してきました。

山口県の
医師や看護士
警察消防士が東北に行き食べ物や救出作業しているらしくどこの県も救援物資してるらしいです!
3月11日の震災当時、私と息子と90歳のおばあちゃんと義母さんは、家の中にいました。大きくて長い揺れに恐怖し、今まで味わったことがない揺れと同時に津波を警戒しました。その時、旦那と義父さんは養殖牡蠣の種を養殖棚に取り付けに、沖へと行っていたのです。連絡をとりたくてもすでに通じず、ただ祈るばかりでした。
地震から15分くらいたったでしょうか…外を見るといつも見ている海が、全く様子を変えていました。海面は空へのびるように上昇し、船が空を飛んでいるようにも見えました。よく見ると、義父さんと旦那は家の近くに帰って来て同じ光景を見ていました。ホッとしたのもつかの間、上昇した海面はみるみる溢れ、家へと迫りくるのがわかりました。みんな「逃げろーっ」と叫びながら、高台へと走りました。家には足の悪いおばあちゃんがいたので、義父さんと義母さんはおばあちゃんを二階にあげるために家に残り、私達夫婦は後ろ髪ひかれながらも息子を連れて走りました。津波は家から数メートルにまで迫ると、やっと止まりました。そして、みるみる引いていくと同時に、私達みんなの船や飲み込まれた家々を全てもっていってしまいました。あんなに高かった堤防も、クッキーを割ったようにボロボロになっていました。みんな、ただ見守るしかできませんでした。
津波が去った後も、海はまだ上下したり寄せたり引いたりを繰り返していました。見ると、対岸の集落から出火していました。最初は一軒から…それはどんどん広がり、やがて集落全てが燃えていきました。みんなは逃げただろうか…続きを読む
posted by まぁしい at 20:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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